2012年1月31日火曜日
2012年1月31日火曜日
名前の無い君の部屋 作詞曲/及川恒平
E F♯m A E E F♯m A E ÷
名前の無 い 君の 部屋 に さび しい 顔 の 人形が いっぱい
F♯m ÷ E ÷ F♯m ÷ E ÷
人 形に なりすしま て もう 少し おしゃべりし て
A ÷ E ÷
だか ら タバコの 煙が 絶え ない
A ÷ E ÷
だか ら ひとり笑い が 絶えな い
E F♯m A E E F♯m A E ÷
名前の 無 い 君の 部屋 に 白 い 大 きな キャンバスがあ る
F♯m ÷ E ÷ F♯m ÷ E ÷
いつ までも そのままだ ね 絵具を持っ ても 泣き出しちゃう し
A ÷ E ÷
天 井が モビイルみたい に 揺れ て
A ÷ E ÷
君 は 突然 窓 を 開け る
E F♯m A E E F♯m A E ÷
名 前の 無 い 君の部屋 に 恋 の 幽霊 が 漂ってい る
F♯m ÷ E ÷ F♯m ÷ E ÷
幽 霊に なりすまし て もう 少し 遠くはなれ て
A ÷ E ÷
なぜほうっておくの か 黙って いる
A ÷ E ÷
君 がわかるよう な 気がす る
C♯m7 ÷ G♯m7 ÷
お湯がわい た 話が 立ち 止まり
C♯m7 ÷ G♯m7 ÷
ほんの少し ばかり 二人は油断 して
C♯m7 G♯m7 B7 ÷
しびれたあし を 撫で る
E ÷ rit.
“コーヒーが入ったよ”
【2012年記】
「名前の無い君の部屋」は、 ぼくのセカンドアルバムのタイトル曲だ。
真っ先に思うのは、こうしたプライベートすぎるかもしれないものを、
LPアルバムとして、世に出した日々があったという、
恥ずかしくて、それでいて恵まれたというか選んでもらったことがあったという事実だ。
今も、このころのぼくと同年代のミュージシャンが、CDメディアとしてネットのデータとして、
同様に、世に作品として提出しているのだろう。
そうして同様に、恥ずかしくて、それでいて懐かしい時代を、時をへだてて思い出すのだろうか。
では、今ぼくが、ライブで歌い、あげくにCDをつくる日々は、
「あのころ」と違うのかといえば、実は同じなのだ。
ただ、今のぼくが「名前の無い君の部屋」に対して思い出すようには、
ぼくには、時間がないというだけなのだろう。
「名前の無い君の部屋」は三十数年前に書かれた歌であり、
今のぼくに残されている時間はごく短く、そろそろ結論を出さねばならない時がきている。
結論などと気取ってもしかたがないのだろう。
この世をはなれても得ることは可能かもしれないし、
結論などはなっからないと、知ることになるのかもしれない。
しかし、たまたまこうして、過去の歌について書いておこうと考えたそのひとつとして、
書き置くことに、なにか感慨に近い感情を持っている。
もう一度は、この歌をうたってみようと、突然思ってしまった。
★
【2003年記】
この歌をこのコーナーで取りあえげてほしいとのリクエストをいただいた。
鹿児島に在住のTさんと言うデザイナーの、そのメールには、学生時代に、
当時出始めたばかりのラジカセに録音して、
練習しては自分でも歌ったもののひとつだったと書かれていた。
最近、思い出してこの歌を口ずさむと、ご家族が喜んでくれると、メールはつづいている。
『名前の無い君の部屋』に書かれた風景は、僕が実際に目にしたのかは別にして、
当時の若者の恋の心情を書いたものとして、一定の評価をもらったのだと思う。
ただし、作った当人はいたってのんきに書きなぐっただけであり、
時代がどうのなどとは、およそ考えていない。
僕だけでなく、あの時代のシンガーソングライターたちは
おしなべてそうだったのではないかと思う。
Tさんが懐かしく思い出し歌うのも、
あの時代のにおいを、この歌に感じるということも、小さくないだろう。
いや、初めてその歌を聴いた時代をを懐かしむための、導入剤として、
それそれれ、歌があると言ってもいいかも知れない。
もう少し、この歌の世界にフカイリしてみよう。
アパート一間の暮らしは、若者にとって普通のことだけれど、
その特徴は、ひと部屋に住人のすべてがあるということだ。
わかりきった事実だが、そうすると何がおきるかというと、本人以外の顔が持ち込まれるのだ。
ポスター、写真、あるいは、部屋の隅にほうられている雑誌の表紙、などなど。
そして女性であれば、あるいは人形、ぬいぐるみ。
女性であればと書きつつ、今これを書いている部屋の中を見回すと、
二体の人形と、ふたつの小さなぬいぐるみを発見。
僕の場合もらいものではあるけれど、オトコの部屋でも意外ではないのかもしれない。
そうして、コーヒー、煙草。
コーヒーは、味わうためといよりもっと別の役をこなしていたようだ。
たとえば、喫茶店で長話をするためのバイプレーヤーとして。
ジャズ喫茶では、読書のしおりがわりに。
その延長上に、若者たちのそれぞれの部屋にも、コーヒーは、
そんなあり方をしていたのではないだろうか。
『嫌煙権』とかいうマナーだかホーリツだかに一斉攻撃されている煙草は、
現在よりずっと、重要なポジションをしめていた。
コーヒーと同じように、アイノテとしての存在価値はもちろんだけど、
大人であることを、自ら確認するためのものとして。
あるいは、人前で帽子や靴などをちょっと意識するのように、ささやかなおしゃれの小道具として。
もうひとつ、自分の思想“性”の確認材料として。
かな?
名前の無い君の部屋